概要

 小杉放菴記念日光美術館の所蔵作品には、現在の時点で、日本画、油彩画、水彩画、素描、書、その他の書簡類や書籍関係の資料に加え、別にまとまったコレクションとして、小杉一雄氏より寄贈を受けた、小杉放菴の日本画のエスキース的性格をもつ素描群(小杉放菴の寫生画)と、小杉放菴が関係したり、収集した美術工芸品(小杉放菴の遺愛品)、および、吉澤利信氏より寄贈を受けた吉澤儀造の水彩画・素描などがある。
 このうち、美術館のコレクションとしての中核になるのは、1200点以上にのぼる「小杉放菴の寫生画」の作品群であり、1992(平成4)年に、小杉放菴の御長男で、早稲田大学名誉教授の故・小杉一雄氏から、散逸を防ぐために一括して日光市が寄贈を受けた。
 小杉一雄氏はこれらの作品群について、「絵は『絵かき』という木に咲いた花のようなもの」であり、「その花がどのような木に咲いていたのか」が重要であるとし、自らが寄贈した「寫生画」は、「すべて本絵の花鳥画の基盤」であったと述べられている。例えるならば、画家・小杉放菴という一本の大木に咲いた華麗な花が、あの絢爛で華やかな花鳥画であり、その根にあたるのが「寫生画」ということになるが、近年、画家の創造活動の過程を示すものとして、一般的にもスケッチや素描についての関心が高まっている中で、これらの「寫生画」は放菴芸術のひとつの側面を明らかにする格好の資料であり、今後、その重要性はますます高く評価されるものと思われる。
 以上のような状況を踏まえて、この素描を基本に、平成4年度から日光市の美術館の収集が本格的に始められ、まず、《靖節先生》や《山寺有酒》《緑陰対局》《白雲幽石図》などの、放菴が昭和時代に描いた典型的な日本画の作品が収蔵された。いずれも、放菴が越前今立の岩野平三郎に特別に注文して漉かせた、「放菴紙」と称される独特の風合いをもつ麻の繊維を生かした麻紙の上に、墨と淡彩による巧みな筆致で、歴史上の人物や情景に仮託して理想世界を描き上げ、自ら、その画中に遊んでいるかのようなさわやかな作品である。この系統の作品は、一般的な放菴の日本画のイメージが最もよく現われた作品であり、その後も《寒山拾得》や《良寛》《菱沼》《正風祖師像》《漁樵問答》《賣花翁》《金太郎》と収集が続いた。
 また、放菴の後期の日本画における、もう一つの主要ジャンルであり、「寫生画」とは最も緊密な関係がある花鳥画についても、《梅花遊禽》《木蓮にひよ》《野水のほとり》《辛夷にうそ》《葵図》《柿の実図》《茶の花図》《椿図》など、一定の水準に達した作品を収集することができたが、これらの作品では、それぞれモティーフとなる花や鳥が正確、かつ緻密に描写されており、その華やかな画面の中に「寫生画」での画家の努力が十分に生かされていることがうかがえる。
 その他、放菴の昭和時代の日本画としては、本格的に放菴紙を使い始める前の、主に墨一色を用い、ポイントとしてごく一部に色彩を効かせて描いた《墨竹蟷螂図》や《水亭》《蒼海》《漁村夕陽》《水村長夏》のような作品も収蔵することができた。ここでは墨の濃淡を生かした放菴ならではの微妙で繊細な筆さばきの巧みさと、考え抜かれた絶妙な画面構成が特色としてよく現われている。さらに、放菴がまだ未醒と称していた大正時代の日本画では、《前赤壁》《秋林樵夫》《柳下閑談》《水荘訪客》《秋山》《窓辺佳人図》《三笑》といった所蔵作品があり、いまだに洋画の技法を色濃くのこし、原色を用いず全体を鈍い同系色でまとめながら、俯瞰的な構図により、重層的な絵画空間を現出させた表現に、30代から40代にかけての、未醒の気力と体力の充実ぶりを見て取れる。とくに《水荘訪客》などは、画面の大きさと描写の密度の濃さが際だっており、放菴の全作品の中で見ても、傑作と呼べる部類に入る作品であろう。
 小杉放菴の油彩画については、「寫生画」とともに小杉一雄氏から寄贈を受けた《泉》および、放菴の長女である水谷百合氏からの寄贈による《泉(断片)》2点があり、その後には《黄初平》や《牧童》など、大正初期の油彩画も収蔵した。
 《泉》は、東京大学安田講堂の壁画のための習作として描かれたと考えられる作品で、フレスコ画風の穏やかな色調で全体をまとめ、のびやかな描写でゆったりとした雰囲気の表現に、当時の未醒が傾倒していたシャヴァンヌの影響が顕著に認められる貴重な資料である。また、《黄初平》や《牧童》も、それぞれ油彩の技法で、中国の水墨画の世界を表現しようとした作品で、金箔などを用いた装飾的な画面に、洋画と水墨画を融合させようとした実験的な意欲がうかがわれる。
 日本画と油彩画以外の小杉放菴の作品では、《ドレスデン》や《山翁奉仕》など、制作された年代が大正初期から第2次世界大戦中にまで及ぶ水彩画や素描が数点あり、いずれも高い完成度を示しているほか、書についても、主として戦後から晩年にかけての短歌を詠んだ小品が、やはり小杉一雄氏から寄贈されており、その中には、良寛や道風を学んだという放菴の書の特色をよく表わしているものが多い。
 小杉放菴が関係したり、収集した美術工芸品(小杉放菴の遺愛品)も、小杉一雄氏から「寫生画」とともに寄贈されたものであるが、その中で特筆されるべき品が、横山大観と競い合って集めたという、澄泥硯や歙州硯、寶瓜硯、トウ河緑石硯、端渓紫石硯、乾隆御墨などの中国の古い硯と墨であり、これらは実際の放菴の日本画制作に使われていた。その他にも、放菴が自ら描いた作品と交換して手に入れたという、南北朝末期から室町初期の制作と推定される《文殊菩薩》なども「遺愛品」の中に含まれる。
 なお、小杉放菴記念日光美術館における収集の方針として、小杉放菴の作品以外にも、関連する画家の作品と日光に関係する作品を、その対象としているが、これに該当するのが、日光の社寺を中心的なモティーフとして明治30年代に描かれた水彩画と、吉澤儀造の水彩画・素描であり、日光関係の水彩画は一括して他の放菴の作品とともに「水彩画」の部に分類し、吉澤儀造の作品については別にまとめて掲載した。
 日光関係の水彩画は、主として、明治30年代に日本を訪れた外国人旅行者向けの土産用として描かれ、日光や横浜で売られていたもので、当時、未醒と名乗っていた放菴の作品以外にも、その師である五百城文哉や、先輩にあたる河久保正名、河合新蔵、吉田博ら、さらには、三宅克己や多くの無名画家たちの作品が含まれ、その総数は現在の時点で40点以上にものぼっている。描かれたモティーフは、神橋や滝尾神社、東照宮の境内など、日光を訪れた人たちには馴染みの深いものであり、外国人向けの土産用というその性格上、現在の日本にはほとんど現存していない作品ばかりであるので、明治時代の日本の水彩画の状況を知るためにも、きわめて貴重な資料となるであろう。
 また、この日光関係の水彩画とも関連するが、やはり小杉放菴の不同舎における先輩にあたり、明治32年初冬の日光の雪景をのこしている画家の作品が、吉澤儀造の水彩画・素描である。吉澤儀造は1869(明治2)年に三重県鈴鹿郡関町で生まれ、34歳で夭折した画家であり、現在では全くと言っていいほど、その存在は忘れ去られていたが、1996年に、小杉放菴の関連画家を調査する過程で、不同舎における先輩であり、放菴の不同舎への入学にも深く関わっていた吉澤儀造の存在を知り、その後、関係各位の協力を得て、儀造の甥にあたる吉澤利信氏から、保管されていた作品の寄贈をいただくことができた。
 寄贈された吉澤儀造の作品は、遠近法的な空間をしっかりと表現した、厳密な構図と構成、確かなデッサン力に裏付けられた克明な描写、さらには、きわめて鮮やかで刺激的な色彩など、たいへん高い技術レヴェルを示しており、とくに水彩画については、明治末に大きな水彩画ブームを引き起こした大下藤次郎や丸山晩霞や三宅克己らの先駆的な作品として、これから高く評価されるべき性格のものと考えられる。
 小杉放菴記念日光美術館では、上記のような所蔵作品の現状と収集方針を踏まえ、今後とも着実に、日光にふさわしい良質な美術作品のコレクションを築き上げていくことを目標としている。

(小杉放菴記念日光美術館 学芸主任 田中正史)

※『小杉放菴記念日光美術館所蔵作品目録』より若干の修正を加えて引用