小杉放菴と展覧会
小杉放菴は、いくつもの美術団体に所属し、
展覧会で絵を発表しました。
《捕虜とその兄》(第5回太平洋画会展)
上京してすぐには、太平洋画会という
美術団体の会員となり、
日露戦争の絵などを発表しています。
1911(明治44)年には、
第5回文展(文部省が主催する美術展覧会)で、
《水郷》という絵が最高賞に選ばれました。
《豆の秋》(第6回文展)
その翌年の第6回文展でも、
《豆の秋》が2年連続で最高賞に選ばれ、
洋画家として、多くの人びとに認められます。
院展再興時の同人たち(右から3人目が放菴)
1914(大正4)年には、
日本画家の横山大観(よこやまたいかん)とともに、
日本美術院を再興(さいこう)しました。
《黄初平》(第2回院展/第2回二科展)
同じ年、二科会の創設にも関わっています。
1922(大正11)年には、
古くからの親しい仲間とともに
春陽会という団体を設立しました。
春陽会には、亡くなるまで所属し続け、
活動しています。
《後赤壁賦(部分)》(第8回春陽会展)
これは、1930(昭和5)年に開催された
第8回春陽会展で発表した絵です。
絵巻物と呼ばれる形式で、
中国の蘇軾(そしょく)という詩人による、
漢詩の情景が描かれています。
放菴は、中国の歴史や文化に、
とても興味をもっていました。